ネペーニャ谷考古学調査

はじめに

 南米ペルーの太平洋岸は降雨量が極めて少なく乾燥していますが、アンデス山脈から細々と流れてくる河川の流域は、人が手を加えれば豊かな耕作地帯に変わります。今日のペルーの大都市も、人口の大半も、そのような河川の下流域に集中しています。そこはまた古代アンデス文明揺籃の地の1つでもありました。我々は、ペルー北部アンカシュ県を流れているネペーニャ川の下流域を調査地としています。そして我が国の高校世界史教科書や用語集では「チャビン文化」の名で紹介されている「形成期」の中期から後期を主に研究しています(紀元前1200年~紀元前150年頃)。それはまさに古代アンデス文明の基盤が形成される、文明史上極めて重要な変化の生じた時期なのです。

 

これまでの成果

 「編年」

 様々な遺跡や遺物の年代を解明し、時間的な前後関係を整理する「編年」は、考古学において欠かせない基礎的研究の1つです。例えば、徒歩1時間圏内に同規模の神殿遺跡が3つあるとしましょう。それらが同時に存在した場合と、各々が別時代に属する場合とでは、考えるべき神殿同士の関係は全く違ったものになるはずです。同時なら、1つの国内に役割の異なる神殿(在地信仰の神殿、広域信仰Aの神殿、広域信仰Bの神殿など)が併存していたり、集落ごとに氏神的な信仰の神殿を擁していたかもしれません(A集落の神殿、B集落の神殿、C集落の神殿)。それぞれが別時代なら、信仰対象の変遷があったのかもしれませんし、自然災害や戦争などによって神殿が移設されたのかもしれません。編年が不確かなものだと、仮説を絞り込めなくなります。編年は考古学研究の土台なのです。

 ネペーニャ谷下流域のセロ・ブランコ遺跡は、1930年代の発掘によって形成期の壮麗な多彩色レリーフの存在が知られていました。そして、同じアンカシュ県の山奥にあるチャビン・デ・ワンタルという大神殿遺跡(UNESCOの世界遺産です)を中心とする宗教がアンデス各地に浸透する中でセロ・ブランコ神殿も建立されたと長らく考えられてきました。

 しかし我々が1930年代の発掘報告等をよくよく再検討すると、セロ・ブランコの多彩色レリーフはチャビン・デ・ワンタルより古いのではないかという疑念が生まれました。実に単純な話ですが、セロ・ブランコの方が古いならチャビン・デ・ワンタルの影響下で建立されるはずがありません。我々が2002年と2004年にセロ・ブランコ遺跡を発掘した際の研究課題の1つが、チャビン・デ・ワンタルとの関係解明を含めた編年の構築でした。結果は予想通りで、多彩色レリーフの脇に穿たれた儀礼用の炉などから採取した一連の炭化物をAMS炭素14年代測定にかけたところ、チャビン・デ・ワンタルの影響拡大期より古い値が出たのです(Shibata 2010)。

 その後、2004年から我々の主な発掘対象はネペーニャ川の対岸にあるワカ・パルティーダ神殿遺跡に移り、この地域の編年が補強されました(Shibata 2011)。2003年からはもう少し下流にある複数の形成期遺跡を北米の調査団が発掘していますし、2008年からはペルー人考古学者が中流域の調査を行っていますが、いずれも我々がセロ・ブランコとワカ・パルティーダの発掘で打ち立てた編年を研究に利用しています(Chicoine 2010; Ikehara 2016など)。

 「神殿と神殿の関係」

 我々の基礎的な編年研究によって、セロ・ブランコ神殿とワカ・パルティーダ神殿は同時期に存在していたことが確認されました。数百年間にわたって、2つの神殿で儀礼をはじめとする様々な活動が行われ、また増改築が重ねられていたのです。

 両神殿は、ネペーニャ川を挟んで2kmほどしか離れていません。現地で何度も確認しましたが、互いに目視できる距離です。さて、どのような関係だったのでしょうか?同時に存在し続けていたわけですから、片方が衰退し放棄された後にもう片方が建立されたという可能性はありません。国や部族(考古学者が「政体」と総称するもの)ごとに1つの神殿を擁していたのか、1つの政体の勢力圏内に複数の神殿が存在していたのか、政体の勢力圏と宗教の勢力圏は必ずしも一致しないのか。

 これまでの調査・研究によっておぼろげながら見えてきたことがあります。時期によって両神殿の関係は移ろうようですが、少なくとも形成期中期においては、神殿の建築資材や出土土器の分析などからみて、ネペーニャ川下流域の複数の集落が神殿の建設と維持に貢献していました。逆に、1つの集落が複数の神殿の建設や維持に関わっていた可能性もあると予想していますが、現時点ではまだ考古学データの裏付けが不足しています。神殿建築の基本設計や壁画の技法といった専門的知識・技術に関する側面は、同時に存在した近接する2神殿であるにも関わらず、驚くほど異なっています。その一方で、各神殿はそれぞれ異なる遠隔地域の神殿との共通点が多いという不思議な現象が確認されました。例えばセロ・ブランコ神殿には複数の基壇がありますが、同時期のペルー中央海岸の神殿群に近い配置であった可能性があります。ワカ・パルティーダ神殿は単一の基壇であり、基壇上の建築配置は同時期のペルー北海岸の神殿群と瓜二つです。民族誌例なども参考にしながら、いまのところは、近接する神殿間(宗教的指導者間)には競合関係が、特定の遠隔地の神殿(宗教的指導者)との間には互恵関係があったという作業仮設に至っています(芝田 2011, Shibata 2020)。

 「国際協力研究」

 ペルーに限った話ではないかもしれませんが、考古学者は縄張り意識が強いようです。調査地域が重なっている学者同士はあまり仲の良くないことが少なくありません。研究上の価値観や仮説の違いがあるのは当然ですし、調査したい遺跡やエリアが重なってしまう場合はライバル関係になりうるからです。ところがネペーニャ谷とその遺跡群には多くの学者が引き付けられる一方で、国籍も世代も異なる学者同士が実にうまくやっています。それどころか、各自が発掘した遺跡の生データを持ち寄って、比較分析による研究成果もあげているのです(Chicoine et al. 2017; Helmer et al. 2018)。1つの大型プロジェクト内での国際協力はしばしばみられますが、我々のように各々独立したプロジェクト同士が協力するというのはかなり珍しいケースです。今後もこれまでの慣習や枠にとらわれず、効果的な国際協力の形を模索し、実行していきたいと思います。

 「壁画群と世界観」

 近日公開予定(芝田 2015, Shibata 2017)

 「饗宴と食文化(仮)」

 近日公開予定(Ikehara and Shibata 2008; Ikehara et al. 2013; 芝田 印刷中)

 「居住エリアとセトルメントパターン(仮)」

 近日公開予定(宮野・芝田 2019; 芝田・宮野 2018)

 「自然災害(仮)」

 近日公開予定(宮野・芝田 2019)

 

調査遺跡紹介

 「セロ・ブランコ神殿遺跡」

 近日公開予定 

 「ワカ・パルティーダ神殿遺跡」

 近日公開予定 

 「スーテ・バホ遺跡複合」

 近日公開予定 

 

本プロジェクトの成果

近日公開予定

 

現在進行中の調査・研究

近日公開予定